鍬と包丁、そしてペン_1

僕の実家は、延岡市の最奥と言っていい山の中。九州でもトップクラスに険しく、多くの登山者やクライマーが憧れる花崗岩の山、大崩山(おおくえやま:1644m)の麓で、民宿を営んでいた。祝子川渓流荘という。休業したのは7年ほど前だろうか。ピークだった2000年頃は、ゴールデンウィークや秋の紅葉シーズンには、一晩に80人から100人の登山者が宿泊する日も珍しくなかった。そんな時は家族総出で、早朝に出発し、下山後は酒宴となる登山者たちを賄ったものだ。掃除、部屋割り、布団の準備、食事、弁当作り・・・休業するまで、僕たち家族にとってゴールデンウィークは「休み」ではなかったのだ。
もちろん、一年中客が途切れないわけではない。それでも、母は常に忙しく働いていた。父も広大な山林を管理し、米を作り、椎茸を作り、お茶を作り、民宿の建物や設備、水の管理をほとんど一人でこなしていた。

田舎の暮らしとは、「暮らし」と「仕事」の区別がない。そんな側面があると思っている。寝る時以外は、言ってみればずっと仕事なのだ。お金になるかならないかは関係なく。しなければならないことが次々に現れる。自然の中で、自然の恩恵を受けつつ、合わせて自然の厳しさとも折り合いをつけて暮らしているからだ。放っておけば自分の暮らしの領分が草木に占領されてしまうから、夏場は毎日のように草を刈り続けなければならない。水道がないのだから、山の水源から何キロもホースを敷設して、やっと蛇口から水が出るようになる。もちろん、管理を怠ればすぐに水は止まってしまう。田舎で暮らすためには、そんな現金収入にならない「仕事」を日々こなさなければならないのだ。

そんな暮らしのDNAがしみついているせいか、本業に少しでも余裕ができると僕は実家で草刈りをする。米を作る。山林を見て回る。水の管理をする。(これは本業の余裕に関係なく、止まってしまったら即対応しなければならないけど・・笑)
いつだったか、田に水を引くために藪の中を這いずり回り、どろどろのビショビショのくたくたになった翌日、まだ体に力が入らない状態で東京に出張したことがあった。正午ごろ、都心の高層ビルの下に立った時、あのビルの上階の部屋でも蛇口をひねったら水が出るのか・・・と不思議な感覚に捕らわれた。そこに立つ僕と、24時間前の僕、数キロ四方に誰一人いないあの藪の中で水を引くために汚れまみれになっていた僕、どちらも僕なのだという事への違和感は、なぜか初めて感じるものではない気がした。どこか、それと似た感覚を時々感じている気がしたのだ。

数年前に感じたあの違和感が、今回の取り組み「鍬と包丁」につながっている。  (つづく)

『鍬と包丁』YouTube
https://www.youtube.com/@kuwatohocho

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