二十代前半、焼き物に凝っていて、田舎に自分で窯を作って遊んでいた。お金のない時代だったので、ロクロも窯も手作りで、誰にも習わず、ただ本で勉強して、時々色んな窯元を訪ねては見よう見まねで。
今手元に残っている物はこのとっくりと湯のみくらい。
山で赤松を集めて、薪にする。三日三晩焚き続けても窯の温度が十分に上がらないので、実用に耐えるような物はできなかったけれど、土と太陽と薪の炎だけで、あのドロドロの粘土が、キンキンと金属音をたてるこんな良い色の陶器に生まれ変わる事が不思議でならなかった。
写真の徳利は信楽焼きの土で、釉薬(うわぐすり)を使わず、ただ焼き締めただけのもの。右半分の色が違うのは薪の灰がかかって、高温で溶けて自然釉になって出した色。
明るい色が気に入って、唯一大事に手元に置いてある。
杉の丸太で作ったロクロを勢い良く回して、止まるまでの間に、土を盛り上げて押さえつけて、茶碗や徳利の形をひねり出すあの感覚。
山のように集めた薪を、ほんのドラム缶1本くらいの窯で三日三晩かけて燃やし尽くすあの重労働。最初は赤かった炎の色が黄色に、そして1200度近くなると白くなってくる。覗き込むと土で出来た器が白くつややかに光りだす。
生活の事なんか考えずに楽しんでいた頃、楽しかった。
いつか、働かなくて良くなったら、また田舎に小屋を建てて遊んでみようか。
そういえば、あの頃、窯を覆う小屋を建ててくれたのは、「そんな事で生きていけるか!」と僕をバカにして、叱ってばかりいた父だった。何とか使えそうな茶碗が出来たとき、お茶漬けを盛ってやったら、「この茶碗は、深すぎて食いにくい」と言いながら笑っていた父ももうずいぶん老いた。
今年中には父の山の写真と文章を本にまとめてやる約束。果たしてやらないとな・・・
階段の窓際においていた焼き物が、思わぬ記憶を呼び覚ましてくれた、土曜の朝。