この小さな机は、太平洋戦争の時、大陸で戦死した叔父が入隊直前に作ったもの。戦争が終わったらこの机で勉強しようと思っていたのか、それとも保育園の椅子より小さいところを見ると、幼い弟(僕の父)の為に残していってくれたのか?
天板が荒削りだったり、釘がはみ出していたり・・・何より実際使うには小さすぎるのだけど、国や家族のために自分の命を捧げる覚悟だった19歳の若者が、どんな思いで小さい机を作ったんだろうかと、ふと思ったりする。ごちそうを食べたり、酒を飲んだり、恋をしたり、夢を見たり、やりがいのある仕事をしたり、家族を持ったり、そんな楽しみや幸せを何も体験しないまま、国のためにと死んでいった二人の兄弟(作者の叔父とその弟:南方で玉砕)。その同じ血が僕にも流れていると思うと、何となく申し訳ない気持ちになってくる。
自分一人で生きている訳じゃない、大きな流れの中で、ほんの一時だけ、許されて生かされているんだね。無数の命の代表として、今この時代に、この場所に役目をもらっているんだろう。奇跡のような至極当然のような不思議な感覚。
と、言って何が出来る訳でもなく、飲み過ぎて翌朝後悔したり、腹筋が続けられずに贅肉を掴んでため息したりばかりで、まだまだ役目のほんの一部だって果たせていないのだ。まだまだ・・・、せめて小さな机を磨いて大切にする気持ちを子供たちに伝えようと思う。
朝から、重い事を考えてしまった。・・・今日も一日、軽く行こうか。