鍬と包丁、そしてペン_2

デザインやブランディングの仕事をしていて、様々なクライアントさんたちとお付き合いをする。観光や地域振興に携わる自治体から、福祉施設、病院、工業や建築などものづくりの会社、飲食、食品加工、農林水産業。
仕事の目的は様々だが、クライアントさんたちの視点からまとめて言うと、こういう事になる。即ち、「私たちの持っている事実を、最大もらさず魅力的に伝えて欲しい」

僕たちは、その時々に精一杯彼らのことを理解しようと努め、そして毎回『表現の代行者』として一定の成果を出してきたという自負を持っている。
でも、長くこの仕事をつづけ、多くのクライアントさんと関わるなかで、少しずつ不安というか、物足りなさが大きくなってきた事も否めない。それは、本当にクライアントさんの気持ちになれているか?同じ目線で物事を見れているか?という事。
だから、何をどうするのか?
全ての人の仕事や生き方を、実際に体験することはできない。でも、少なくとも上から俯瞰するのではなくて、同じ目の高さ、あるいはその下に潜って土台に近い場所から物事を見ることは出来るはず。そう思う。そのために、自分でやれることは何でも自分でやってみる。一番効果的なのは、トイレのリノベや、廃棄物の処分を自分でやってみることだと思う。トイレ掃除なら誰でもする。ただ、トイレに流したブツはその後、どこに?どうなっているのか?業界の人以外はそんなこと気にせずに生きているだろう。気にしなくても立派に生きていけるし、むしろ知らない方が幸せなのかもしれない。ところが、僕はそんな事がつい気になってしまう。東京の高層ビルの上階で蛇口をひねれば飲める水が噴き出すことの(語弊はあるけど)不自然さと同時に感じたのは、同じくらいの量の汚水が滝のように流れ下る、ちょっと想像したくないイメージだった。

現代文明を、都市生活をディスカウントするつもりはないんです。先輩たちが努力して作ってきた便利で衛生的で安全な暮らし。その有り難さを忘れないためにも、少なくとも僕自身は、自分の飲む水や食べるもの、生きている以上必ず出してしまう廃棄物の行く末の事を体感として知っていたいと思う。汚れがちな仕事を人に任せないで、自分でやってみる。それが世の中の事を土台に近い視点から見れるようになる良い方法だと思うから。

というわけで、巻き添えを食うのが弊社の若者たちで(笑)・・・この春、全員にマイ作業つなぎと長靴を支給した。
この日は、和式トイレの洋式化と並行して、渓流荘の広間の天井板を剥がす作業。なにせ7年もの間放置していたものだから、天井裏はネズミ因子やそれを狙う狸やイタチ先生の生活圏になっていて、それこそ彼らの廃棄物がたくさん。感染症対策を万全にして、皆で力を合わせ作業を完了しました。「デザイン事務所に就職したのに・・・」という言葉には耳を貸さず、今後の作業行程は目白押しです。今は納得できないかもしれないけれど、きっと数年後には皆、地に足をつけた、クライアントさんに頼りにされるデザイナーになっているよ。あははー。

昼食にはその辺で摘んだ山菜の『岩ニンニク(方言です)』ありがたい、ありがたい。

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