夏至

晴れた朝です。
今日は夏至だそう、明日は今日より昼の時間が短くなっていくなんて、にわかに信じられない。これからだんだん暑くなって、ジリジリと太陽が照りつける夏になっていくと言うのに。
さて、今年はどんな夏になるだろう
原発や政府、被災地の話題に触れる度に、日本人は少し立ち止まって、後ろを振り返って見る必要があるだろうと思う。ずんずん歩いて、夜でもギラギラと明るい都会の生活に慣れてしまって、それでもまだその先にもっと幸せな場所を求めて急ごうとしている。
振り返ってみたら、実は通り過ぎて来た道の途中に、暗くて涼しくて、静かで、人の声もはっきり聞こえて、星もきれいで、冷たくて清らかな水が流れている、今何が必要かがシンプルに分かる場所があったんじゃないか?
そこまで引き返せとは言わないけれど、そんな場所の事を思い出して、この先の道の電灯を減らしてみるとか、スピーカーや空調を無しにしてみてもいいんじゃないか?
何よりも大切な地面や、水を人の手で取り返しのつかない程汚してしまう事の愚を、正直に思う時だ。
例えばこの夏、電気が足りなくてエアコンが使えなかったとしても、その事を思えば「うちはテレビも我慢するから、小さい子どもの家庭や病院に電気をまわしていいよ。」と言えない日本人を僕は知らない。
手にしても手にしても飽き足らずに、もっと便利を、スピードを、効率を、贅沢を求める力は本当は僕ら一人一人にあるんじゃなくて、人が集まった時、会社や組織、日本という国になって初めて生まれてくる力なんじゃないかと思う。
「原発無くしていいんじゃないか?」僕はシンプルにそう思う。
「無ければ無いで、なんとかしていけるよ。」無責任だけど、その無責任さが足りないから、正義感とか向上心とかにアクセルを踏み込まれて組織になった時に自分が思っても見ない方向に頑張りすぎてしまっているんじゃないか?
僕らが何よりも責任を持つべきは、今自分たちの足で立ち、どうにか行きていける大人にではなくて、まだ一人では生きていけない、そしてこれから生まれてくる子どもたちの未来に対して。20年後の日本を誇れる国土としてこの子たちに渡せるかどうか、その一点が一番大切なんじゃないかな?

今朝の青空をみてそう思った。

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