実家にトライアングルがあった。おそらく、小学校が廃校になった時に処分された物を持って来たのだろうと思う。
僕の卒業した小学校が廃校になってもう10年経つかな?今は体育館と大きなイチョウの木一本だけを残して跡形も無い。思い出の中にだけ、校舎や教室、校庭での色んなシーンが残っている。
それにしても、あの窓枠や机や椅子や木製の大きな三角定規や、黒板のチョークの引き出しやロッカーが捨てられてしまったのは、いかにももったいない。机や椅子のいくらかは譲り受けて今も手元にあるけれど、あの時もっと色んな物を譲ってもらっておくべきだったと、今更ながら後悔している。
今では手に入らない物がたくさんあるから。
何でも安く手に入る世の中になってしまって、長く使える物がどんどん失われていっている気がする。
僕がこの前まで使っていた目覚まし時計は、とうとう動かなくなったけど、25年間使った。それを買ってもらった15歳になった息子に、同じように時計を買ってやろうとしたけれど、どれもすごく安くてすぐに壊れてしまいそうな物ばかりが売ってある。上等な物はすごく上等で。安い物は殆ど使い捨てではないかと思われるくらいにチープなのだ。
なにか空しくなった。こんな時代に「物を大切にしろ」と大人が教える事に説得力があるだろうか?
物を作る人でも、売る人でも、使う人でも、全ての大人が考え直さなければいけないんじゃないか?と思う。
少しずつでも・・・物を作る立場の人間として、僕も、心しておきたい。